プロフィール

こんにちは、

神スパイラルメソッド  カウンセラーの櫃本紡衣(ひつもとつむぎ)です。

私自身、長年母との関係に悩み、

自己肯定感の低い状態で、自殺を考えるほど心を病んでいました。

何をやってもうまくいかず、自分はダメな人間だと思い込んでいました。

大学受験失敗

結婚しても、モラハラ夫の影に怯え・・・

せっかく授かった子供に、まさかの毒母対応をしてしまい・・・

経済苦もなり・・・

落ちるところまで落ちて、ようやくこのままの自分ではダメだ。

なんとかしなければ!と一念発起。

潜在意識、心理療法、音楽療法、退行催眠、前世療法、コーチングで
 
心の改革を実践することで、試行錯誤の結果、毒母の呪縛を完全克服。

これらの経験を活かして、2004年にコーチとしてスタート。

【I Love 自分】あなたが人生の主役になる

神スパイラルメソッドなる

心理カウンセリングを始めました。

毒親問題、アダルトチルドレン、人間関係、恋愛、

ストレス過剰、生きづらさを感じている方、

心の悩みを抱えた方の相談にのっていて、

15年以上4400時間を超えるセッション経験があります。

すっかり母とも、夫とも関係が改善し、家族ハッピー!!
 
現在、二人の息子の子育ても終わったこともあり、子育ての悩み相談も多数受けています。

 

悩み解決にはカウンセラーとの相性が大切

心理カウンセリングを受けて悩みが解決するかどうかは、

クライアントであるあなたと心理カウンセラーである私との相性が非常に重要なポイントとなります。
 
ですので、私がそのように悩み、どのような経緯で悩みを克服しカウンセラーになったのか、

興味のある方はぜひご覧ください。

 

 

 

 

 

詳しいプロフィール

【鬼の形相の母、トラウマが植えつけられた幼少期の記憶】

母からのコントロール

母からピアノの練習をさせられる。
30分練習終わるまで遊んじゃいけないと言われ、泣きながら練習した。
とにかく母が怖くて練習。
ピアノの練習といえば・・・母の怒鳴り声、ヒステリックの声が思い出される。

いつの間にかトラウマに。

イメージの中に張り付いている映像がある。
昔住んでいた古いアパートの一室
アプライトピアノの前に座る小さな女の子。
シクシク泣きながらピアノを弾いている。
そして感じる鬼の形相の母。

【小学校の記憶・・・親の顔色を伺う子供時代】

長女で手のかからない子

私は4人兄弟の一番上に生まれた。
サラリーマンの父、専業主婦の母の元に育った

過干渉、過保護の母

私は髪の毛を長くしたかったが、母がみっともないので切りなさいと言われ、抵抗したが結局切られた
服装も女の子らしいワンピース、ヒラヒラした服を着たかったが、今日は寒いからと無理矢理ズボンに。
私も気持ちなんて聞いてもらえないんだと悲しくなった

外面のいい母、しかし家では・・・

比較的勉強もできたし、ピアノも弾けた。
しかし、母は一貫性がなく外と家の顔が全く違った。

【母のストレスの吐け口になってしまう】

育児ストレス、家計の切り盛りでストレスマックスの母

母は相当育児ストレス、家計の切り盛りに疲れ切っていた
また、もともと母自身がアダルトチルドレン、寂しい子供時代を過ごしていたのもあった。
が、母は、自分のストレス解消に私を使った。

否定

家の中では、母は私のことを『やる気がない』『欲がない』と全否定。

比較

また『○○ちゃんは毎日2時間自分から練習するのにあなたは、言われないとやらない。そんなんじゃダメだ。」とよく言われた

脅迫

「やる気がないならやめなさい。」
呪文のように何度も言われたが、それが母親の本音でないことは見抜いていた。
思春期になると、
「こう言っているけれど、それは私を自分のコントロール化に置きたくて言っているだけだ。本当に私がやめるって言ったらどうなるのだろう?」と段々と心がひねくれていった。

承認欲求からの叱咤

母は、承認欲求が強かったと思う。
外で、私が褒められるようになると、承認欲求がどんどん加速していった。
一応「そんなことはないですよ」と謙遜しつつ、私を表向きは誉めた。
気分良く帰ると、母から手のひらを返したように、叱咤された。
もっと承認されたい母は、『もっと頑張りなさい』と言ってきた。
「そんなんじゃダメだ。もっと」
しんどかった。
いつまで母のいう通り、頑張ればいいのか・・・
私は、どんどん疲弊していった

愚痴の垂れ流し

他の兄弟は、言われれば反発していたが、私は長女気質で従順だった。
言われて何も言い返さない私を利用して母は、愚痴を浴びせ続けた。
私の人間不信は増大していった。
母の愚痴は、
・父のこと
・家計が苦しいこと
・自分がいかに頑張っているか
・子供たちがいうことを聞かないこと
・私が母の思うように動かないことへの不満
・世の中全体の不満
そんなありとあられることが日常茶飯事で、愚痴られた。

【魔のスパイラル〜母と母の両親】

母もアダルトチルドレン

母の母(祖母)は正妻ではなかった。
愛人の娘ということで、お金には困らなかったようだが、愛には飢えていたと思う。
雀荘経営したりと、母自身、肩身の狭い思いをしたと思う。
一人っ子の母。
母はよく、当時のことを振り返り、寂しかったと言っていた。
祖母は初め、芸者だった。
芸が身を助けたことを母はよく言っており、
『女性には手に職が大事。自分はピアノが習いたかったがさせてもらえなかった。』
娘の私にピアノを習わせたことは裏返しての愛情だったと思う。

愛に飢えていた母

母からみた父親は、経営者として優秀だったとしか聞いていない。
あまり話に出てこなかったところを見ると、もしかしたら愛された記憶があまりなかったのかもしれない
自分は一人っ子だったので、大家族にも憧れたようで、4人子供を産むことになった。

母の中の闇

母の中には何か闇があるようだ。
わからないがちらっと父が言っていた。
時にヒステリーのようになって感情が溢れ出すのは、そのせいなのかもしれない。
鬱になったのか、異性問題か・・・

【自慢の父は、絶対的父性】

俺が、教科書だ

父は、コントローラー気質(命令タイプ)だった。
父はよく自分の学歴や優秀さを自慢をした。
よく自分が教科書だ的なことを言っていた。
見た目もかっこよかった。
私は、多分ファザコンだったと思う。
父は、権威性が強かったので、もしかしたら多少マインドコントロールされていたかもしれない。
だが、そんな父を私は、尊敬していた。
勉強もよくみてくれたので、私は学校の成績が良かった。

一家の大黒柱は、企業戦士

父は、一家を支えるため、夜遅くまで仕事をしていた。
子供4人を養うのは大変だったと思う。
なので休日に家でゴロゴロしていた
私は、遊んで欲しいなと思う気持ちと、頑張っているんだからという気持ちが混同していた。
そんな父を母はよくなじっていた。

亭主関白で、頑固な父

私の父の嫌いなところは、こうと決めたら融通が利かないところ。
そうなると、一家は父の言うことを聞くしかなかった。
右向けっと言われたら、右を向かないといけないような、支配的なところがあった。
ギリギリセーフだったが、私にキスしようとしてきたり、体を触ってきたりするところもあった。
それももしかしたら母の怒りを買っていたかもしれない。

【魔のスパイラル〜夫婦喧嘩の両親】

夫婦間で繰り広げられる悪循環

物心ついたころには、日常茶飯に目の前で夫婦喧嘩が行われていた。
大体は、母が父に不平不満をいうことから始まった。
父はうんざりして相手にしないことが多いが、それがまた母をイライラさせるらしく、爆発始める。
それに父も我慢できずに、喧嘩が始めるという悪循環だった

偏執的な夫婦関係

父と母は、喧嘩する時はすごかったし、夫婦喧嘩はしょっちゅうだった。
ところが、夫婦は性的にはうまくいっていて、子供4人も産んだ。
また平気で子供達の前でイチャイチャした。
そのことから私は、性に対して嫌悪感を感じるようになってしまった。・

両親が離婚したら?・・・どんどん広がる不安

自分の部屋ができる前は、居場所がなくて困った。
夫婦喧嘩は私の神経をすり減らさせたし、私の負の感情を増大させた。
悲しい、不安、恐怖・・・
思春期になると、もしも二人が離婚したら、自分たち(他兄弟3人)はどうなるのだろうとそればかり考えた。
離婚だけは阻止しなければ・・・
それが、気持ちの負担が増えた
夫婦喧嘩をさせないように・・・
自分がいい子でいなければ・・・
さらに親の顔色を伺うようになる

【魔のスパイラル〜毒母と私】

自己否定が加速

そのうちあろうことか、いつの頃か、夫婦喧嘩を起こしている元凶は自分ではないかと思うようになり、自分を責め始めた
『自分がもっと優秀だったら、夫婦喧嘩は起こらない』
『自分がもっと頑張ったら、夫婦喧嘩は起こらない』
『自分がもっと母のいうことを聞いていたら、夫婦喧嘩は起こらない』
『自分がもっと勤勉(ピアノの練習・勉強・兄弟の世話・手伝いなど)だったら、夫婦喧嘩は起こらない』
段々と自己肯定感が下がっていく

毒母の完成、呪縛の強化

高学年になるとピアノ、成績が上位になる
そこで母は勘違いをする
『自分のやり方は合ってる』と
・指示命令
・過干渉
・過保護
・過剰コントロール
・愚痴の垂れ流し
は、ますます加速していった
毒母の完成である。

【中学時代〜反抗期がない!】

頑張っても頑張っても空回りする日々

ピアノも成績も狭い世界だったので、なんとか成果を上げることができていた。
ますます増長する母。
ネガティブアプローチは、どんどん増幅していった。
自己肯定感が低い私は、ピアノのレッスンでも先生とうまくいかなかった。
先生は厳しい先生だったので私は、どんどん萎縮して、パフォーマンスを発揮できずにいた。
先生からも母から怒られる日々。
必死に耐えていた

大人って汚い

そんな中、中2になって母が妊娠した。四番目の子供
流石に性の知識も入ってきている時なのでショックを受けた。
『喧嘩してても、やることやってんじゃん。大人って汚い』
そんな両親の好意の元に自分が生まれたと思い、自分が汚いとさえ思った。
大好きな父に初めて不信感を感じた。
この頃もプチ性的ないたづらはあり(と言っても胸を触ってきたり、性的な表現をいうだけだったが)どうしても私は過剰反応してしまっていた。

真面目な優等生、心の闇は広がって

性的に未熟で、男性恐怖心、異性に対して興味あるのに、うまく表現できずに、こじらせる。
見た目はなんの問題もない、絵に描いたような真面目な優等生
先生の人望もあつく。
でもどんどん心の中の闇は広がっていった。
当時は容姿にも自信がなく、もうこのまま消えてしまいたいとさえ思った。
本来あるべきの『反抗期』をとうとう私は経験せずに大人になってしまう

母が敷いたレールの上を走らされて

母は自分が叶わなかった未来を私にさせようとした
ピアニスト、音大合格・・・
母は言った『私のいう通りにしていればいいのよ』
いつの間にか母が敷いたレールの上を走っている自分がいた

母の愛に飢えて

あるはずの反抗期もなく、ただ毎日母の愚痴を浴び、従順を装い、生きていた。
母の期待に答えなければ、私は母から愛してもらえない。
そう思い込んでいた。
一度母が何かいうたびに
『すみません。・・・』
と返す私に、母が
『その「すみません。」は、やめなさい。辛気臭い。』
と言われた。
言わせているのは、あなたなのよ。
と気づくのはずっと後の話。

【ストレスが切れた高校時代】

パンツのゴム?は伸びきって切れる寸前

なんとか、トップの高校には合格できたが、ストレスは極限状態だった。
伸び切ったパンツのゴムのようだったと思う。
もうちょっとで切れてしまいそうな状態だった。

いつまで頑張ればいいの?

ピアノと勉強の両立でやっとこさ、入ったトップ校。
さらに難しくなる勉強。
ピアノも手を抜けない
自己肯定感は下がりに下がり、気力は底をついていた。
一体いつまで頑張ればいいのだろう。
魂が叫び始めていた。

伸び切っていたゴムが『パチン』と切れた音がした

ピアノを練習しても全然上手にならない
そもそも練習する気にならない
勉強も同じで、成績は下がる一方。
無気力・・・
もう歯止めが効かなくなっていた。
そんな自分に気づき、誤魔化すように学校の行事や部活に没頭する

焦れば焦るほどうまくいかない悪循環

あっという間の三年間。
音大を受験するも、思うような演奏ができない。
焦燥感ばかり感じた。
母の毒親ぶりも相変わらずで、家での居場所を失っていく。

【挫折〜死にたい】

受験に失敗

一回めの大学受験は見事に失敗する
浪人生活
闇との戦いが始まる 
何度自殺して、母を困らせようかと思った。

復讐の念

自殺をすることで母への復讐になる。
この恐ろしい考えと日々闘っていた。
浪人時代も全くパフォーマンスは上がらず、再受験するも、合格できずに
私は母のいう通りに生きてきたのにこの結末はなに?
と叫びたい気持ちだった。
他人軸になっていたと気づくのはもっと先だが。

ピンチはチャンス

なぜ自殺しなかったのか?
結果的にこの不合格が、私を闇から光の世界に連れていってくれた。
私の不合格に落胆した母は、その呪縛を一瞬緩めた。
ああ、私は母からも見捨てられたんだ。
逆にそれがよかった。
滑り止めの大学へ。
まったくやる気のない中、入学するが、ここから私のバラ色人生がスタートする

【バラ色の人生〜ひとときの夢】

褒められたことで能力が開花

失意の中入った学科は、私のような滑り止めで入った人ばかり。
やる気のない中、大学に通う。
ところがそこで私はすぐに自分の能力を開花する
発端は、単純な同級生からの承認。
『○○高校からきたの?すごい、頭いい!』
こんなひとことで十分だった。
誉められることに飢えていた私は水を得た魚のように、今度は自分の意思で学校生活を頑張りだした。
すぐに周りから、認められ、自分の居場所を自分で作ることに成功した。
自分のパフォーマンスがどんどん上がっていき、結果もついていき、人から誉められるってすごいことなんだと痛感した。

褒められたい

そういえば、父からはよく勉強のことで褒められた。
父は、一貫性があったので父の言葉は信頼できた。
そのせいか、勉強は好きだった。
ところが、母は私をほとんど誉めなかった。
外で誉めても家で、全く逆のことを言うので、母の言っている言葉は全く信頼できなかった。
外面が良く、外ではいい顔するが、家に帰ってすぐにその人のことを下げる。
誰に対しても、誉めているのか、けなしているのかわからず。
私は、純粋に母から誉められたい、認められたい、愛されたかっただけなのに。
ここまま人生好転するかと思われたが、人生そうすぐには、うまくはいかないものである。
この出来事は神様が私にくれた
「ひとときの夢」
そう、夢はさめるものなのだ

プラススパイラル

精力的な大学4年間を過ごし、勢いで就職。
今までのマイナススパイラルと違い、頑張れば頑張っただけ、成果を出せた。
そのことで承認のシャワーを浴び、それがまた次の活力となる。
これを阻む母の影は弱まっていた。
自分がスパイラルを描いで上がっていっているのを肌で感じていた。
人生ってなんて楽しいんだ!
就職して5年は、これを十分に味わうことができた。
このあと大きな落とし穴が待っているとも知らずに

【再び、魔のスパイラルへ】

恋に恋して

大学はほぼ女子大のようなところで、なかなか男性の方と知り合う機会がなかった。
そんな中、恋をする。
10才以上も年の離れた独身男性。
なまじ、経験がないだけに盛り上がってしまった。
承認の上手な男性だった。
そう、恋ではなく、単に承認欲求を満たしていただけだった。
徐々に魔の手(笑)は忍び寄ってきていた。
そんな中、今の夫と出会う。
恋愛慣れしていた年上の人と違い、人の良さそうな誠実な人柄にひかれ、結婚を決意する。
27才。
ここから再び魔のスパイラルにはまっていく。

結婚、出産、そしてモラハラ

女性として人生の大きな転機を迎える
結婚生活、親元を離れての慣れない家事、仕事との両立、そして、妊娠、出産。
バタバタとしていて、私はマイナススパイラルが始まっていたのに気づけなかった。
恋愛中、束縛が強いなと思っていた夫。
みんなからいい人と呼ばれている夫。
だが、本来の性格に気づいていながら、否定していたのは、現実を見たくなかっただけかもしれない。
亭主関白だった父を持っていたせいで、夫とは皆こう言うものなのだろうと誤解していた。
徐々にエスカレートする夫のモラハラ。
夫は、感情的になり、切れることもしばしば。
その度に、妊娠中のマタニティブルーのせいかと思っていた。
こうやって何かあるとつい、自分のせいと思ってしまうところがある。

自分で自分に呪いをかける

27才で長男を出産
夫からのモラハラですっかり自信を喪失
自分はダメな妻だ
自分はダメな母親だ
自分で自分に呪いをかけているとも知らずに、もがき続けていた。
リバウンドのように、そこにはまた元の自己肯定感の低い自分がいた。
追い討ちをかけるように、また母が今度は子供を出しにして、私をコントロールしようとしてきた。
知らずに、私自身も毒母に・・・
マイナススパイラル・・・静かに落ちていく自分を感じていた

人生を変えた本との出会い

そんな中私はある人生を変えた本と出会う
七田眞『0才教育の秘密』
潜在意識と子育てについて書かれた素晴らしい本だった。

【全ての謎が明らかに】

潜在能力

この本を購入してすぐに、七田眞先生の講演を聞く機会を得る
そこには、私が欲しい情報がたくさん書かれてあった
私は導かれるように、二人の息子を潜在能力研究に入れ、自分も勉強する機会を得た。
これに夫も賛同してくれ、ほのかな光が見えてきたように思えた。

まさに負の連鎖、魔のスパイラルの謎とは!

そこで私は、自分の母親が毒母であることを理解した。
私たち親子が、魔のスパイラルにはまっていたことも。
母親自身も、魔のスパイラルの犠牲者であることも。
そして、私もまた我が子に対して、それをしてしまう恐れがあることも。
ふと気づいたら、母の呪縛がなくなって、順風満帆の人生の真っ只中で出会った夫も、母にそっくりだった。
外面が良く、いい人
でも家庭に入ると愚痴を言いまくり、私をコントロールしてくる。
まるで母とそっくりではないか!
いや、違う。
これは私が引き寄せている。
なぜなら、魔のスパイラルの呪縛は、完全に解かれていないのだから。

立ち上げれ自分!

そう気づいた私は、いても立って見られなかった。
ご先祖様から脈々と続いているこの魔のスパイラルは、私の代で完全解消するんだ。
そう決意して、私は色々なメソッドを研究した。
・イメージトレーニング
・瞑想
・ヨガ
・心理療法
・音楽療法
・退行催眠
・前世療法
そして最後に行き着いたのがコーチングだった。
そのきっかけになったのがもう一冊の本
菅原裕子『子どもの心のコーチング』
ここで私は、自分が自立できていないこと
私が自立しない限り、自分の母親は毒母のままであると。

コーチング

2004年、日本に導入されたばかりのコーチングを学び、3年で資格を取るところ、1年半で資格を取得した。
いてもたってもいられなかった。
当時、バブルが終わり、夫が自主退社して起業したこともあり、なかなかうまくいかず、家計は火の車だった。
500円玉生活が続き、小学生になる二人の息子を育てるので精一杯だった。
副業のコーチングで早く、安定させねば・・・
コーチングを学べば学ぶほど、自分軸が入っていった。
良い意味で、原因は自分にあると思え、自分を変えたいと思った。
・夫の目が気になる自分
・感情的に子供に怒ってしまう自分
・私をコントロールしようとする夫
・子供をコントロールしようとする自分

まさに魔のスパイラル。

自分の人生の主役は自分

自分が変われば、周りも変わる
この魔のスパイラルを変えるのは自分にしかできない。
コーチの助けもあり、私は自分の未来をどんどん描いていった。
実現するかどうかは後でいい。
描くのはただ、そして自由だ。
母にも夫にも邪魔はさせない。
人生は自分でデザインできる。
私はコーチングを武器に、精神的自由を少しづつ手に入れていった。

【神スパイラルの始まり】

私ってあげまん?

徐々にコーチとしてクライアントも増え、セミナーなども開催するようになっていった。
主体的に行動できるようになっていくと、自分も変化していった。
稼げるようになり、コーチングのおかげで、自己肯定感も上がり、徐々に経済的自立、
家計を助けることができるようになった。
すると、徐々に夫のモラハラが減少。
夫と対等の立場になることができた。
夫の仕事もうまく行き始め、ヘッドハンティングにあい、私ってあげまん?と思えるほど、夫はキャリアアップしていき、家計も楽になり、ついに彼はその会社の代表取締役になってしまった。
まだまだ私の売り上げは少なかったが、確実に自由を手にしている感覚があった。

コーチングで年間1000人

コーチングを通して、セミナーを通して、私のように夫のモラハラ、毒親、子供への連鎖で悩む多くの女性に会ってきた。
私は、魔のスパイラルを断ち切るのに、10年あまりかかってしまった。
もっとこういう女性たちを助けたいと思うようになる。
年間1000人のセミナー受講生に合ってきて、コミュニケーションの改善や、目標達成などをサポートしてきた。

人に興味がない?

そんな思いの中、私はある衝撃的な講座に参加する。
家族の因縁を断ち切る講座だった。
当時、年間1000人もの人に出会っていた。
コミュニケーションには自信があった。
ところがその講座で私は、講師の先生から、
「あなたは人に全然興味がないですね」
と言われ、愕然とした。
言われている意味がわからなかった。
講座が始まった。
家族との確執に悩む人のセッションが始まった。
泣き叫んだり、号泣する人、怒りをぶつける人など、魂の叫びが繰り返されていった。
だんだん私も自分の母との確執から来る感情が湧き上がってきた。
浄化されたのだ。
最後に、人を愛するという究極のワークを体験し、私は心の底から人を愛するということはどんなことなのか実感できた。
暖かい涙が溢れ出てきた。
今こそ、魔のスパイラルを断ち切るときだ!
この時の魂の震えは一生忘れない。
すぐさま私は自分のコーチングにこのワークを取り入れることにした。
I love 自分メソッドの誕生である

【I love 自分メソッド】

経済的自立で成果続々

2016年より、このメソッドを使い、300人の女性とワーク。
扶養内だった方が年間で327万年収アップ。
年収700万になった女性も現れた。
中には、夫との喧嘩がなくなったという女性。
夫婦別居だったが、復縁したという女性。
経済的自立からパートナーとの関係改善の報告も相次ぐ。
また、我が子の能力に悩んで、感情的になっていた母親が、それを改善。子供の成績がぐんぐん伸びるなどの報告も。

魔のスパイラルから神スパイラルへ

自分自身も年収が10倍になり、経済的自立できた。
夫のモラハラは全くなくなり、私のビジネスを応援してくれるまで関係改善できた。
精神的に散り散りだった家族が、まとまって仲良くなった。
魔のスパイラルを断ち切ることに成功した
自分の人生の主役は自分
人生を自分でデザインできる
そして、自分が変われば周りも変わる。
そのためには、自分の心から愛すること。
このメソッドを広めて、一人でも自分のような女性を救いたいと思う

【使命、ミッション】

衝撃の体験

平成の終わりの数年間で、私は10代の姪っ子を二人も自殺で失った。
期待され、愛されるべき存在だったのに・・・
葬儀の最中、私は発作を起こした。
初めて味わう過呼吸に苦しんだ。
横になった枕元に姪っ子が現れ、何かいいたそうに見下ろしていたような気がした。
後日、その筋の人見てもらうと、
自分が死んで多くの人に迷惑をかけてしまった。
そのことを謝りに来ていたのだと聞き、涙が止まらなかった。

命より大事なものはない

悔やんでも仕方がないが、生きて欲しかった。
そういう決断をさせてしまったのは、やはり周りの大人の非であると思う
命より大事なものはない。
姪っ子のそれぞれの家族も何かしらの悪循環に陥っていたのだろう。
今後は、使命感を持って、魔のスパイラルに苦しむ人々を助けたいと思う。
魔のスパイラルは下手をすると、ずっと繰り返されていく。

神スパイラルに変えて、みなさんが笑顔で幸せな世の中に変えたい